春近し

2008年02月28日



春の明るい日差しにつられて 冬の間出てこなかった隣の猫がウチのの裏庭の草むらをのそりのそりと散歩しています。1月にこの世を去った我が家のにゃんこ「どら」の姿が見えないのを妙に思って探してるかのようにお尻フリフリきょろきょろしながら。
そうこうしている内にどこからやってきたのか人相・・違った、にゃん相の悪い猫が部屋の中から見ている私の眼と合ってしばし睨めっこしてしまいました。
我が物顔で不法侵入したこの猫たちの顔を見ていたら、コンテストに出られそうな美人(美猫)だったうちのドラはもう居ないんやと改めて寂しくなりました。
カミさんは最近、朝になると果物の残りかすや野菜の屑を裏庭にまいて集まって来るいろんな種類の鳥や狸や犬や猫たちを見て楽しんでいます。
居ながらにしてバードウォッチングが楽しめた春近しの一日でした。
そろそろウグイスのお出ましかな?
  
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佐伯市大入島にイカ釣り行きも・・

2008年02月21日


近くのペンションのオーナーとお互いペンションノーゲストの日を合わせて天候と大潮と好釣り場という絶対の条件をひっさげて周囲のイカ刺しの期待を背中に感じながら愛車デリカに釣り道具と食料と寝袋を詰め込んで行って来ました。
フェリーで島に渡り目的にしていた波止は既に他の釣り人に占領され島裏に回り
前回の強風と雨の厳しい条件も今回は心配することなく快適に釣り始めました。
アジの泳がせ釣りで数時間釣り糸を垂らしていたにもかかわらず一向に当たりがありません。別の場所にいる釣り人も釣れた様子もなく日が暮れかけたときにやっと私の竿にイカの当たりがあり取り込んでみると本命の「みずいか」ではなく「まついか」でした。
まぁイカにかわりがないと次に期待して待てどその後も一向に当たりがなく、そうこうしてる内に突然ウキが沈み込んで強烈な引きに負けじと引き寄せてガッカリ、大きなきらきら銀色に輝く太刀魚でした。
イカ釣りには太刀魚は大敵で太刀魚の群がイカをみんな追い散らせてしまいその後はイカは釣れなくなるんです。
仕方なく暗くなった釣り場から荷物を片づけ別の防波堤に移り、風も強くなり波も高く寒さに耐えながら頑張ったんですが完敗でした。その夜、車に泊まり翌朝も6時からまだ薄暗く冷え込んだ海辺で二人一心に水面の浮きと睨めっこが続きましたが結局期待はずれの釣り行きになってしまい幕を閉じました。
それにしても真っ赤に染まった朝日と綺麗な海がとても印象的でした。
  
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武雄・有田・波佐見・佐世保の旅・・つづき

2008年02月17日



くるくる寿司でお腹を満たした後今夜の宿泊地、ハウステンボスのマリーナのヨット「夢林檎」
に向かいました。
さすがにキャビンの中は寒々としてホテル泊とは雲泥の差でしたが暖房が効き出すと
我が家に戻ってきた気分になりビールを飲み早めに休みました。
二日目の予定は午前中はハウステンボスの園内をウォーキングを兼ねて散策してパレスの美術館で
幸運にも村山密画伯の素敵な絵との出会いが出来ました。


午後は佐世保港に入っている米海軍の空母ニミッツを見に行くことになり知り合いに
見学場所を聞き佐世保湾が見渡せる針尾島の小高い丘まで車を走らせました。
道ばたに車を停めて見学している人が沢山居ます。
あいにく空母の停泊している角度が悪く全体が見られませんでしたが巨大空母が湾内に
ぽっかり浮かんでいてその異様な迫力は十分伝わってきました。

その後近くにある浦頭引揚記念平和公園に行き終戦直後の大陸からの引き揚げ者の
生々しい詳細な写真や書籍や記録を観察してきました。
終戦後から昭和25年までに海外の邦人630万人の内の1/4がこの浦頭の検疫所に
上陸し現在のハウステンボスにあった佐世保引揚援護局(元針尾海兵団)までの約7キロメートルの
山道を一歩一歩踏みしめながら歩いていきたどりついた援護局宿舎で2.3泊し
南風崎駅からそれぞれの郷里に向かったと言うことです。
もしかして私たちの父親も戦地から引き揚げてきてこの地に帰り着いたのかもしれないのです。

太平洋戦争戦勝国のアメリカの現在の巨大空母と60年以上前の敗戦国としての日本の
歴史的な足跡を同時に目の当たりにし時の流れを実感したひとときでした。

その帰路、武雄温泉(写真)に立ち寄り阿蘇にたどり着いたのはすっかり暗くなっていました。

今回の旅での一番の功労者は買ったばかりのカーナビでした。
初めての場所ばかりで目的地の電話番号をインプットするだけで
道案内通りに走れば迷うことなくたどり着くことができ、
こんなに便利な機械だったとは改めて感動しました。  
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武雄・有田・波佐見の旅

2008年02月15日




寒波で小雪の舞う阿蘇から飛び出してバラエティに富んだ佐賀・長崎ドライブの旅に行って来ました。
去年の夏に友人のお嬢が同級生とゆめりんごに遊びに来て、知り合いになった二人のお嬢の実家を
訪れました。

まずは佐賀の武雄にある「山閑人」というジャズの似合うエキゾチックな喫茶店でお父さんのオーナーがに
廃材を集めて建てたといわれる山小屋風の建物で、店内には絨毯が敷つめられ、
お母さんが写真、お嬢と妹さんは素敵な絵を描き、お兄さんは焼き物、お父さんは版画と書をという
芸術家一家らしい味のある作品(焼き物や絵画・写真)それにお店の雰囲気にマッチした骨董品が所狭しと
並べられ、なんともエキゾチックな雰囲気を醸しだしていました。

美味しいコーヒーとケーキに舌鼓を打ちながらのそれぞれの作品を拝見したり話している内についつい
長居をしてしまいました。
馴染みの客の多いことも納得できる、是非また訪れたいお店でした。
http://www.cafetribe.com/webpage/cafefile/sankan/sankan.html

次に立ち寄ったのが有田にある電気窯の製作所でした。
ゆめりんごのオリジナル食器作りの上絵付けに使う窯が故障して先月修理に預けていたもので、
それを引き取り行きました。
そこでもしばらく話し込み、社長さんから電気窯を使った比較的簡単にできる素敵なブローチの作り方を
伝授して貰いました。
早速材料集めをして来月位から、ゆめりんごに宿泊したお客さんに食器作りと同時にブローチ作りも
出来るように考えました。

この日の最後に訪れた先はもう一人のお嬢の実家でやはり焼き物の町波佐見の窯元「京千」さんでした。
町のはずれにあり周りを山に囲まれた静かな佇まいの中にアトリエ・作業場と展示場を構え
私たちはお嬢に案内をして貰い、展示場から気に入った器を特別価格で譲って貰うことに成功しカミさんは
大喜びで品選びをしていました。

今回訪問した二人のお嬢はそれぞれ優れた才能の持ち主で今後の活躍が楽しみな若者でした。

すっかり話に夢中になり食事をとることも忘れ、日も沈みすっかり暗くなった道路を
早岐の町にある美味しい「くるくる寿司」の店を目指して車を走らせる二人でした。  
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春よこい、早く来い!

2008年02月11日


大した雪も降らずに連休も無事終了しました。
寒さのピークも過ぎ少しずつ春に向かっているんでしょうが朝の冷え込みは都会からみえたお客さんにとっては堪えるようでした。
早くも春を呼ぶ「阿蘇の野焼き」で近くの小高い丘(本塚)も真っ黒けです。(写真3枚目)

ログハウスに泊まられた職場の仲良しグループ(写真1枚目)は温泉と薪ストーブの暖かさを味方にして大いに盛り上がっていました。

例年でしたら2月中旬ころから学生さんの卒業旅行やクラブ合宿・ゼミ旅行で賑わうはずなのに今年は少し予約が遅くなってきているようです。
楽しい学生時代の想い出作りはゆめりんごにおまかせください。  
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久しぶりのプール行き

2008年02月08日



先日の4日間の関西行きから戻ってまた福岡行きと落ち着きのない日々も無事に終了し昨日は一日パソコンと睨めっこと決めていました。
にもかかわらず性格上じっとすることが苦手な私は3時には家を飛び出して自転車でアゼリアのプールに向かっていました。
12月の健康診断でコレステロール値が少し高めを注意され冬場の運動不足を反省しています。
プールにはクルマなら10分少々の距離が自転車なら途中の坂の上り下りに寒さ除けの毛糸の帽子とダウンジャケットの下は汗だくになり春や秋の阿蘇の山々を眺めながらの爽快なサイクリング気分にはほど遠く30分はかかります。
かといってクルマで行ってトレーニングジムでの運動もさぼり癖が付いて・・ダメですねー。

アゼリアのプールは午後4時頃がもっともお客さんが少なく大抵50mプールの1コースを1人で悠々(?)と泳ぐことができるんです。
毎回クロールと背泳で1000m泳いで上がるのですがプールでの知り合いと話し込んでしまい1時間ほどは水につかっています。

帰りは薄暗くなり肌を切るような寒風吹きすさぶ中、最後の急坂で汗だくになり倒れ込むようにして家に戻ってくるのです。
そんな運動不足解消法を最低週に一度はするように心がけてはいるのですが・・
いろんな仕事を口実に「明日行こ!」の今日この頃です。
皆さんも家に閉じこもらずに運動を心がけましょうね。

写真は昨日の雪を被った根子岳と高岳をバックにした「アゼリア21」と温水プールです。
お客さんにはアゼリアの割引券(800円が600円)も用意していますよ!
  
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まだこんなゴミ箱が

2008年02月05日



2/1から4日間、神戸・大阪の親戚巡りの旅にカミさんと次女のまどかと回れるだけ回ろうと入念にスケジュールを組んで行って来ました。
初日だけ少し時間を空けて懐かしの私の少年時代に過ごした町の界隈を散策するためにカミさん達と2時間ほど別行動してノスタルジーに耽る時間を作りました。

震災以降4度目の訪問ですが来るたびごとに懐かしい家や風景が消えて行く変化に長い時の流れを感じざるを得ません。

生まれ育った家の周辺をその時代を回想しながら歩いているときに目に止まったものが写真のコンクリート製の「ゴミ箱」です。
当時昭和30年代は今のように家庭ゴミが大量に出ることのない社会でした。
食べ残したご飯は飼っている犬や猫の餌に、野菜の捨てる場所は猫の額ほどの小さな畑の肥料に、新聞紙や雑誌は台所のかまどの焚き付けにと。
ペットボトルは存在しない当時は缶やびんは子供のおもちゃや筆立て・花瓶・・何でも有効利用(reuse)する資源を大切に使う時代でした。当時は各家庭の玄関先にゴミ箱を置いて再利用出来ないゴミだけが捨てられていました。
そのころに使われていたゴミ箱がこのコンクリート製のものとミカン箱を改造したり手製で作ったゴミ箱を使っていました。
その頃は今のような格差社会ではなく子供だった私たちが「金持ち」とレッテルを貼るのは自分の家にテレビを買った早い順にランク付けされていました。それと同様に家の前のゴミ箱が写真のようなコンクリート製のものを置いている家は一目置かれていました。

当時みんなが必死に働いても貧しい生活の中で、今ではすっかり失われてしまった「ものを大切にする心」や「人に対する思いやりの気持ち」は豊かに生きていた時代でした。
そんな現代社会とのギャップを感じさせるタイムマシンに乗ってやってきたようなゴミ箱でした。

二番目の写真は私の生まれ育った下町を近くの裏山からカメラ
そ最後の写真は子供時代に遊んだ裏山のその頃からあった「亀石」です。  
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Posted by ゆめりんご at 13:44Comments(0)TrackBack(0)